ガリカイ・ティリコティ(Garikayi Tirikoti)


ガリカイ・ティリコティ

1961年ジンバブエのチウォタ地方生まれ。

トーテムはしまうま

ジンバブエの伝統楽器であるムビラの演奏家、
また制作者でもある。

3歳のときに誰も教えていないのにムビラを弾き、
6歳で音階の狂ったムビラを調律して周囲を驚かせたという伝説を持つ。

世界各地で演奏を披露し、その実力を世界に認められてきた音楽家で、
アメリカのポートランドフェニックス紙などでも”驚くべきスピードと正確さ”
と紹介されている。

また、高音域、中音域、低音域のムビラを同時に合奏する
“ムビラオーケストラ”を確立した人物であり、
7種類の音域のムビラを弾きこなすことが出来るのは、
世界広しと言えどもガリカイ・ティリコティただ1人であろう。

ガリカイ・ティリコティ氏インタビュー

ムビラについて

ギター、ピアノ等の楽器は、もとをたどれば全てムビラがルーツです。

ムビラは、人類が手にした世界最古の楽器の1つです。
だから、世界のどの国の人々も、この楽器を使って
先祖の精霊と会話をすることができます。

ムビラのキー(鍵盤)には、昔は金が使われていました。

こんな話があります。

ある日、 1人の男が夢を見ました。

夢の中で男は啓示を受けました。
“川底を探しなさい”、と。

男は川に行き、
川底から金のキー(鍵盤)と木のボディを持つムビラを発見し、
家に持ち帰りました。

次の日、
男は夢の中でムビラの演奏方法を学びました。

これがムビラの起源です。

ムビラは、昔は”ムビラ”という名前ではなく、
【ナリ】と呼ばれていました。

今も我々は電話を【ナリ】と呼びますが、
【ナリ】とは”交信”という意味です。

これがムビラの起源です。

ムビラと自分について

父の弟がムビラ演奏家でした。
そのため、
私は小さな頃から毎晩のようにムビラのサウンドを聴いていました。

私は4歳の頃からムビラを弾き始めました。
ムビラの演奏は簡単でした。

最初の頃は、手が小さいので左手も右手も親指だけを使って演奏しました。
(ムビラは普通、左手の親指、右手の親指と人差指を使って演奏される)

しかし、
私はムビラのサウンドに不満足でした。

そんな時、
あれは1979年、私が17,8歳の時、夢を見ました。

年老いた黒人の男が、
口でムビラのサウンドを奏でている夢でした。

すると、
遠くの山から大きな鳥がこちらに向かって飛んできました。

鳥が近くまでやって来た時、
私は、それが鳥ではなく翼を持った白人である、
と気がつきました。

翼を持った白人は私の前に降りると、
普通の人間の姿になり、
私をスーパーマーケットに連れて行きました。

白人はかごを魚でいっぱいにして、
会計を終わらせてスーパーマーケットを出ました。

そして、
「天使の音は7種類あります。
年老いた男が口で奏でていたムビラの音を弾きなさい。」
と言って消えました。

そこで私は目を覚ましました。

その日は、
年老いた男が口で奏でていたサウンドが頭に残っていて、
それが脳に響いて、苦しくて、
普通に話すこともできませんでした。

私は年老いた男が奏でた音をもとに、
新しい音を奏でるムビラをつくりました。

そうすると、
脳に響いていた音は消え、
楽になりました。

私は、
新しいムビラと今までのムビラの音をミックスすることにより、
ムビラのサウンドが満足のいくものになっていることに気が付きました。

それからも年老いた男は、
最初にあらわれた時を合わせると合計4回夢にあらわれ、
そのたびに、
私は新しい音を奏でるムビラをつくりました。

そして、
ジンバブエではポピュラーなチューニング、
ネマムササチューニング、
マホロロチューニング、
マベンベチューニング、
それに合わせて、
ニャバンゴチューニング、
バンギザチューニング、
チャークイチューニング、
タイレヴァチューニング、
の7種類のムビラが出来上がりました。

ですから、
私は他のジンバブエ人に何を言われようと、
白人とも仲良くします。

また、
白人と仲良くすることが精霊の求めているところだと知っています。
(ジンバブエには白人が黒人を迫害した歴史があります。
ジンバブエ人は表面上は白人に対して笑顔をみせていますが、
内心では白人を恨んでいる人も多いです。
ちなみに日本人も南部アフリカ圏内では白人として扱われます。)

また、
人と喧嘩をしたり、
人に対して悪いことをすれば、
自分に悪い事がふりかかる、
ということも知っています。

(ガリカイ氏は様々な理由から、
河や魚を貴いものと考えていて、
魚を食べることがありません。
魚の粉末が入ったスープさえ口にしません。
彼のドレッドヘアには、
河の精霊への尊敬の象徴として、
河で取れた白い貝殻がジャラジャラと取り付けられています。)

ガリカイ・ティリコティ氏からのメッセージ

訳(アフリカンイングリッシュのため、
一部、意訳してあります)

精霊と日本人について話したいと思います。

なぜなら、日本人と私は、
私達は1つだからです。

私の生活は、
日本人を通じて悪い状態を切り抜けてきました。

全ての日本人、彼らの精霊、彼らを産んだ両親・・・。

私たちは(日本人を通して)他の国の人たちと
良い関係を構築しながら一緒に生活する方法、
違う性格の人たちと交流する方法を学びました。

だから私は全ての日本人にありがとうと言わせていただきたい。
特に、私の家を訪ねてくれた人、一緒に生活した人、
私のムビラを注文してくれた人、
彼らもまた、私の親類です。

なぜなら、彼らは私の生活を悪い状態から
切り抜けさせてくれたからです。

今、私は(昔より)ましな生活を送っています。

また私は、私の息子(TONDERAI)とWAKAを通じて、
日本人の親戚となりました。

今、我々は、
日本ジンバブエ人、ジンバブエ日本人です。

だから私は全てのこれらの日本人のことを想っています。

私はこれまで、たくさんの国の人たちと会ってきました。
しかし、
日本人を通じて、
家で生活すること、
食べ物を食べること、
服を着ること、
これらのことを、
私が制作したムビラと日本人のやさしさを通じて得ることができました。

全てに対してありがとう。

神が我々を天国に導いてくれるまで、
ともに進んでいきましょう。
私たちの精霊も一緒になっていくでしょう、永遠に。
アーメン。

これが私の言いたいことです。

日本人の人たち、
彼らの精霊、
彼らの両親、
彼らの親戚の人たち、
彼らの友達・・・。

私の親戚や友達たちも、
日本人の友達とここで会えることを、
とても喜んでいます。

彼らはどのように他国の人と付き合うのか、
ということを、
日本人を通じて学んでいます。

だから、
私が言いたいことは、
私達は親類であり、1つである、
ということです。

人生の終わりを迎えるまで共に進んでいきましょう。

ムビラについてですが、
私はマズィタテグルムビラオーケストラを有名にしたい、
と思っています。

日本において、
そして、
日本以外の国においても、
世界全てに広めていきたいと考えています。

ガリカイ・ティリコティ氏の演奏

ガリカイファミリーからのメッセージ

ジンバブエのガリカイファミリーの、
イタイ・ティリコティ(ガリカイ・ティリコティの息子)と、
ティナシ・ティリコティ(ガリカイ・ティリコティの甥)からのメッセージです。

訳(アフリカンイングリッシュのため、
一部、意訳してあります)

(ニャバンゴチューンでの演奏)

私の名前はティナシ・ティリコティです。
ジンバブエのチトゥンギザに住んでいます。

ムビラ演奏者でありムビラ制作者でもあります。

ムビラについて話したいと思います。

ムビラはとても、とても、とても、良いものであり、
とても重要であり、簡単に演奏方法を学ぶことができます。

もし、
演奏方法を教わることを必要としているなら、
我々が教えることができます。

私のムビラの演奏方法はガリカイスタイルです。

ガリカイは我々の父であり、
我々にムビラの演奏方法、
違う種類のムビラを使っての合奏方法を教えてくれました。

ムビラにはたくさんの種類があります。
マベンベチューン、
ニャバンゴチューン、
マホロロチューン、
ネマムササチューン、
チャークイチューン、
バンギザチューン、
ドンゴンダチューン、
のように。

また、
我々は全ての種類のムビラを演奏することができます。

ありがとう。

(ネマムササチューンでの演奏)

私の名前はイタイ・ティリコティです。

私はムビラ演奏者です。
ムビラ制作もします。

私はガリカイの息子です。

父親もムビラ演奏者です。
父親も、いつも、
ムビラの制作をしています。

私はムビラを人々にすすめていきたいです。
そして、
人々にムビラについてのことを伝えていきたいです。

ムビラを学びたい人には演奏方法を教えたいです。

私はよくネマムササチューンを演奏してきました。

私は8歳の時、
ムビラの演奏を、
ネマムササチューンを学ぶことからはじめました。

私は人々にネマムササチューンを演奏する方法を見せたい、
そして、
その音を。

私はたくさんの人が、
“ムビラ”を知ることを望んでいます。

ジンバブエでは、
たくさんの人々が精霊を呼ぶ楽器として、
ムビラを演奏します。

オーケー、
これからネマムササという曲を演奏するから聴いてください。

(ニャバンゴチューンとネマムササチューンの演奏)