フラドレック・ムジュル(Fradreck Mujuru)


フラドレック・ムジュル

1955年ジンバブエのダンバツォコ(※1)地方生まれ

トーテムはヒヒ

ムビラを演奏する一族、
ムジュル一族の1人。

ムジュル一族の中で、
トップレベルのムビラ奏者であり、
ムビラの制作技術もジンバブエ国内で群を抜いている。
世界各国からムビラの注文を受けている。

フラドレック・ムジュル氏インタビュー

ムビラについて

質問:どのようにしてムビラを弾き始めたのですか?

私達、ショナは”先祖の精霊と交流する”という、
長い伝統の歴史を持っています。

私のおじいさんのムチャテラ・ムジュル(※2)は、
チャミヌカという精霊の媒体でした。

ムチャテラが生まれる前、
チャミヌカの精霊は、
チトゥンギザ(ジンバブエの地名)において、
儀式で拝まれている状態でした。

たしか、ムチャテラが生まれたのは、
1890年くらいだったと思います。

セグル・ムイリミ、という、
チトゥンギザに住み、チャミヌカに祈りを捧げている人が、
私の祖父、ムチャテラにムビラを教えた人でした。

ムチャテラは、
おじさんであるムイリミによってムビラを紹介されました。
それは多分、1915年の頃のことだったと思います。

それからムチャテラは日常的にムビラを弾くようになり、
1932年に彼にチャミヌカが降りてきました。

その時から、ムビラが我々の一族のもとにもたらされました。
それまでは、
我々一族はムビラを持っていませんでした。

ムチャテラがチャミヌカの精霊を通してムビラを我々に紹介したのです。

精霊を呼ぶ儀式がダンバツォコ地方である時は、
国中からいつも人がやってきました。

9月の最終週にある雨を降らせる儀式だったり、
4月の終わりにある、
作物の実りや、雨を降らせてくれた事を、
精霊に感謝する儀式だったり。

これらの儀式が行われている時、
私はまだ小さな子供でした。

私は音楽の中で育ちました。
だから、私には音楽がとても印象に残っています。
ダンスを踊ったり、音楽を楽しんだりしました。

そして、私は好奇心が旺盛でした。

ムチャテラはムビラ制作者でもありました。
彼はダンバツォコ地方ではじめてのムビラ制作者でした。

そして彼は数人にムビラの作り方を教えました。

私たちはまだ少年で、
よく、ムチャテラがムビラを制作するところを見ていました。

私はムビラの制作にとても好奇心が旺盛で、
どのようにムビラを制作するのか、
キーの作り方、キーを打った後の作業、
自分が将来、
ムビラを制作するようになるのかどうかなどは分からなかったけれども、
ただ、気になって、どんな事が起こるのかを見て、
ただ、楽しんでいました。

そして私たちは日常的に、
私の父親、そして大人たちのムビラの演奏を聴いていました。
私の父親はダンバツォコ地方で最高のムビラ奏者でした。

私は”私たち”という言葉を使います。
なぜなら、私1人ではなく、
私たちは複数人の少年たちだったからです。

私たちは、原っぱで牛たちを先導して世話している時も、
ムビラの歌を歌っていました。
「ダンデンダンダンダンダン」
というように。

私たち少年たちには、
ムビラを学ぶ前に、
すでにムビラの音が頭の中にありました。
私たちは聴いた音を真似していました。
なぜなら、私たちは興味があったからです。

そして、
私がムビラの演奏を学ぶ事に興味が出た時、
その時は、大人たちは、
私たちがムビラを掴み上げる事さえ許しませんでした。

彼らにとっては子供たちの行動は、
くだらないような事だったのです。

なぜなら、もし私たちがムビラに触ると、
ムビラにダメージを与えてしまう可能性だってあったからです。

だから彼らはとても厳しかったのです。
そして、私たちがムビラを弾く事を望んでいませんでした。

でも、私は強く主張しました。
「私にムビラを教えてくれ。」と。

私は主張し続けました。
そして、ついに私は、
ある人にムビラを教えてもらえる事ができるようになりました。

私の初めてのムビラの曲はムタンバでした。

それから私は、
大人たちの演奏を聴いた後、
ただ聴いて、歌って、チューニングを確認して、
そして歌から音の流れを取り上げ、
ムビラの練習をしました。

もし私が、
(この曲は難しい)
と気づいた時には、
大人たちは、
私がムビラに熱心で、
私がとてもムビラに興味がある、
と知っていたので、
彼らは私のところにやって来て、
私に、どのようにその曲を演奏するのかを見せてくれました。

これが、
私がどのようにムビラを演奏する事を学んだか、
という事です。

そして8歳になる頃には、
数種類のチューニングのムビラを演奏できるようになっていました。

私が成長すると、
私は精霊を呼ぶ儀式などでも、
演奏するようになりました。

私はハラレ(ジンバブエの首都)にやってきて、
1974年頃、従兄弟のエファット・ムジュルを訪ねました。

その時には、彼はとても有名でした。

私はエファットと共に、
たくさんの場所を、
ムビラの演奏をするために訪れました。

なぜなら、彼を通して、
我々は、ムビラを演奏するために、
ハラレの中、ハラレの外での儀式、
いろんなところに招待されたからです。

ほとんどの週末は、
ムビラを人々のために演奏するために招待されていました。

そしてエファットはまた、
ジンバブエ以外の国ともつながりを持っていました。

そして彼は私を紹介してくれました。

その頃、
エファットが、
一緒に演奏するためにムビラをくれました。

しかし、
そのムビラはとても質の悪いものでした。

私は指にたこをつくってしまいました。

私は思いました。

(もし、私がムビラを制作したら、
より良いものを制作できるだろうか?)

それは自分自身に課したチャレンジでした。

私はムビラの制作について調査しました。
調査開始して、
私が初めて会ったムビラ制作者はトーマス・ムーザでした。
彼はハラレ(※3)の外からやってきた人で、
ムビラの品質の管理に厳しい人でした。

彼に会った私はとても嬉しく、
彼は私に、
どのようにムビラを制作するのかを教えてくれました。

そして私はムビラの制作をはじめました。

私がはじめてムビラを制作した時、
私は4回つくり直しました。
そして私が求めているものが出来上がりました。

私が最初のムビラを制作したその時は1981年で、
私は26歳でした。

私がつくり終えた時、
トーマス・マダルワに会いました。
すると、彼は、私の制作したムビラを見て、
“こんな若い男がこのような質の高いムビラをを制作するとは!”
と、とても驚きました。

また、
エファット・ムジュルを訪問するために南アフリカからやってきた女性は、
“自分はこんなに質の良いムビラを見た事が無い!”
と言いました。
彼女はそのムビラを購入しました。

そして、私はさらにムビラの制作をしました。

そして私は、
いくつかのアメリカの団体の人たちと会いました。
彼らは私と会い、ムビラを買い、とても喜んでくれました。

今では私は、
南アフリカ、イギリス、シンガポール、イタリア、ニュージーランド、日本、
そして他のたくさんの国々の人たちのためにムビラを制作しています。

音楽サイドとしては、
私はムビラの演奏を教えるワークショップを実施してきました。

私は、2001年、2003年、2004年、2005年、
2012年、2014年の計6回、アメリカに行きました。

アメリカを訪問している間、私はワークショップを実施しました。
全ての地域の団体に、
どのようにムビラを演奏するのかを教え、
ムビラを紹介してまわりました。

1992年には、
私は南アフリカを訪れ、
ヨハネスブルグに2か月住んで、
地元の生徒たちにムビラを教えてムビラを紹介しました。
今でも当時の、たくさんの人達との交流があります。

そして1994年には、
私がいつも共に演奏していた”タルワナ and the mujuru boys”というグループ
と共にドイツにも訪問しました。

これがムビラについての私の人生です。

私たちショナは、
私たちが私たちである、という事、文化、
そういうものを失うこと無く、
“儀式”という文化を持っています。

ダンバツォコ地方で毎年行われる、
雨を降らせる儀式、
精霊に対して感謝を捧げる儀式、
地域の人々が何かの問題に直面した時には、
どんな問題でも、
アドバイスをくれる先祖に相談します。

これはショナの間で、
とても、とても、とても、とても、長い世紀の間、
やってきた事で、
基本的な私たちの宗教であり、伝統であり、文化なのです。

そう、
神を持つことは良い事です。

音楽を通して、
私の名は高められ、
素晴らしい子供たちを持ち、
全ての息子たちはすでに結婚して、
それぞれの家族を持っていて、
私は、愛する、私の仕事をサポートしてくれる妻を持っています。

私の子供たちには、
彼らが学校に行っている時期には、
ムビラの制作の方法、
ムビラの演奏方法を教えました。

私の一番下の子どものティノテンダでさえ、
2015年には大学に行く予定ですが、
彼女はとてもムビラを学ぶことを熱望していて、
今、彼女はムビラの演奏方法を学んでいます。

精霊について

質問:あななたたちショナは先祖の精霊、という話をします。
儀式では先祖の精霊が人に降りてきますね。
あなたたちが信仰しているチャミヌカ(※4)とネハンダ(※5)、
彼らも、また、先祖の精霊なのですか?
つまり、昔、この世で生きていた人たちなのでしょうか?

まず、神、創造神がいます。

私たちの文化では、
チャミヌカはただの精霊であり、
この世で生きていた者ではなく、人間ではありません。

チャミヌカはただの精霊であり創造神の下にいる者です。

彼は創造神によってこの世に送られる者であり、
この世にやってきて、
この世で生活している人々に、
伝統について、
先祖の精霊との交信についてを教えます。

我々ショナはチャミヌカの事をモンドロと呼びます。

質問:チャミヌカのもう1つの名前がモンドロ、という事ですか?

いいえ、モンドロは肩書きです。
チャミヌカは名前です。

ネハンダ、もまた別の精霊です。
この世で生きていた人間ではありません。

ネハンダもモンドロです。

モンドロとしては、他に、国民の精霊がいます。

一族にはとてもたくさん働くような人がいます。
彼らの文化を促進する、
地域社会の他の人たちを助ける、
そんな人が。
すると、先祖たちは、
この人には見込みがある、と見なします。
そして彼を、
一族の精霊より上位のレベルへと昇級させます。

これらが国民の精霊です。

私の祖父は国民の精霊でした。
なぜならチャミヌカを体に宿していたからです。

質問:モンドロとは国民の精霊の事ですか?

そうです、
それだけではなくチャミヌカもモンドロと呼ばれます。

質問:なるほど、
モンドロとは位の高い精霊達の事ですね。

そうです。

質問:国民の精霊とチャミヌカとは違うのですか?

違います、チャミヌカは精霊の中で一番上位に位置しています。
その下に国民の精霊がいて、
一族の精霊がいます。

国民の精霊は、
この世に住んでいた人たちです。

そして、
一族から昇級した者です。

国民の精霊は、
他の精霊たちを導くために、
昇級した精霊です。

この、
他の精霊たち、というのが、
一族の精霊です。

例えば、
我々ムジュル一族は、
我々一族の精霊を持っています。

一族の精霊は一族を導く精霊です。

一族の精霊は一族を導きます、
そしてモンドロたちに報告します。
そしてモンドロたちはチャミヌカに報告します。

例えば、
議会を例にとってみましょう。

議会における、
下院と大臣と大統領のようなものです。

まずたくさんの人たちがいます。
下院はたくさんの人たちから選ばれます。
そして大臣は下院から昇級したものです。
そして大臣は大統領に報告をします。

大統領がチャミヌカ、
大臣が国民の精霊、
下院が一族の精霊、
のようなものです。

下院の人たちは地域のお世話をします。
なぜならその地域の代表者だからです。

そして大臣は役割があります。
農業大臣であるとか、なんとか大臣であるとか、
これらの大臣は下院から昇級します。

質問:という事は、一族の精霊とは、
先祖の精霊なのですね。
例えば、おじいさんであったりとかおばあさんであったり、とか。

そうです。

質問:既に亡くなって、一族の精霊になった。

そうです、
彼らは一族を導くためにやってきます。

たとえば1人の人間がこの世で生きている、とします。
この人間が年をとり、亡くなる。
人が亡くなると、
我々は儀式を執り行います。
この人が精霊として一族の元に戻ってくるように。

そして、この人は戻ってきて、人々のお世話をします。

ただ、ほとんどの人はただ亡くなり、
戻ってくる事はありません。

一部の人が、
先祖の精霊として戻ってきて、
この世に生きている誰かに宿ります。
そして人々に手引きを与えます。

人々が亡くなった時、
全てのご先祖たちは、話し合いをします。

そして選ばれた人は、
人々を導くために送られます。

ムビラの演奏について

質問:ムビラを弾いている時、
特に儀式では、何か考えてますか?

ムビラを弾く時、
それは、やるべき事、という感じで、
ただ、ムビラを弾いて音楽を楽しんでいます。

主な事は、
先祖の精霊とつながる事、
そして同時に、ただ楽しんでいます。

それは、
儀式の時に精霊が人に降りてくるようなつながり方ではなく、
それらの先祖の精霊の事を思い、
そして、導いて欲しい、
全ての人が最高の状態であって欲しい、
と願う、という事です。

だから音楽を楽しむ事は大切です。

そうすれば先祖の精霊も楽しみ、
そして我々のところにやってきて、
そして我々に話をしてくれます。

質問:演奏している時に、
精霊と話すような事はあるのですか?

いいえ、演奏をしている時に精霊と話すような事はありません。
ただ、
精霊とのつながりを感じています。

例えば、
私があなたとムビラを演奏している時、
私はあなたがムビラを演奏している方法の事を考えています。
そしてあなたと演奏する事を楽しんでいます。

そしてまた、
私は私の先祖たちの事を考えています。
彼らが我々に運んできてくれる良い事を。

私は彼らに、
私が演奏している音楽を楽しんで欲しい。

そしてそれが、彼らとの互いに連絡する手段となります。
難しい事ではありません、
ただの精霊とつながる方法です。

ムビラの演奏法について

質問:日本人に対して、
ムビラの演奏、またムビラの学び方などでアドバイスはありますか?

どの人に対しても、
私のアドバイスは、
はじめに、
私たちはすでに先祖の事について話してきましたが、
ムビラの音楽は、古い、古い、古い、そういった立場にある音楽である、
という事です。

1000年の歴史、と言いましょう。
文献には、
その歴史が1000年以上であるかないか、
という事は残っていませんが、
私は1000年以上の長い歴史がある、と信じています。

このムビラの音楽はムジュル一族だけのものではありません。
そしてジンバブエの人たちだけのものでもありません。

世界中の人たちのためのものです。

だから私たちは、
我々の先祖たちと理解しあったり、
つながる事ができるのです。

長い長い昔、
私たちは1つの場所に住んでいました。

そして人々は、
その場所から東へ、西へ、北へ、東へと移動しました。

住む場所を探すため、
新しい経験を探すため。

それが人々が違う民族、違う肌の色を持った理由でもあります。

しかし私たちは1つの根源からやってきました。
私たちは1つなのです。

私たちが一緒だった頃、
全ての人たちが日常的に先祖たちと交流していました。

しかし、
人々がその中心部から移動して遠くへ移動した時、
人々は創造神と交流する新しいアイデアを得て、
それぞれが違う方法を持ちました。

我々は創造神の事をmwari(ムグワーリ)、
またはmusiki(ムシッキ)と呼びます。

今、全ては、
元来の、
交流する方法へと戻ってきました。

キリスト教徒たちにとってのキリストでさえ、
それもまた先祖です。
彼は亡くなりました。
しかし、人々は信じています。
キリストが人々を、
創造神である彼の父へと導いてくれる、と。

私たちは先祖を通して創造神と交流してきたのです。

キリスト教徒たちは、
キリストを通して、
創造神と交流してきました。

だから、
これが基礎なのです。

だから、
ムビラは、
人々は、
先祖と交流するために演奏する事ができます。

それが人々と先祖が相互に作用する方法なのです。

世界は1つです。
私たちは人間です。

音楽を奏でる時、
私たちは近づきます。

例えば、友達になったり、
兄弟になったり。

我々は1つです。
我々は一緒に事をしていかなければなりません。

ムビラを学ぶ事について、
私は聴く事によって学びました。

それが学ぶ方法です。

それは学校に行くように。
学校では英語を学ぶとき、
はじめに”aeiou”と学びます。

この”aeiou”は、
カリガモンベ(※6)でいう”ドンキー・モンベー・ヴゥージィー(※7)”のようなものです。
この曲は、とても単純な歌です。

しかし、それから、
人々はすぐに、別の曲を会得するでしょう。

それはより簡単になっています。
全ての他の曲を学ぶ事が、より簡単になっています。

なぜなら、あなたはムビラを演奏するための基礎を、
規則を、基礎の型を、
すでに会得したからです。

人々は、難しい、と言うかも知れません。

しかし、あなたがムビラに慣れた時には、
それはとても簡単になっています。

そして、
あなたはもっと演奏し、
そして、
もっと楽しむようになるでしょう。

これが私の経験です。

もちろん私にとっても初めは難しかったです。

それは何であれそうです。
例えば、
車を運転するように。
例えば、
自転車に乗るように。

自転車に乗るのは難しいです。
しかし、すぐに慣れてきて、
自転車に乗れるようになります。

ムビラについての良い事は、
あなたが音楽を楽しむようになる、
という事です。

そして音楽は、
とても、とても、美しいものです。

私は音楽を人々と共有できてとても嬉しいです。

私はたくさんの地を旅して、
その地の団体を通じて、
ムビラをいたるところに広めました。
そして、人々はムビラ音楽を得ました。

私は、もっともっとたくさんの人たちが、
ムビラ音楽に近づく事を望んでいます。
これはとても重要な事です。

私は知っています。
とても忙しい人もいる、
という事を。

しかし、ムビラの音楽を紹介すると、
人々は考え始めます。

この音楽はとてもよい、
そして、彼らは学びたくなります。

私は、
いたるところの人たちと、
音楽を共有する事を望んでいます。

 

※1 ダンバツォコ

ムジュル一族が住む田舎村

※2 ムチャテラ

ムチャテラ・ムジュル、ショナの信仰する精霊、チャミヌカを体に宿していた、
と言われ、生涯、チャミヌカの言葉をジンバブエの人たちに伝え続けた。1977年没。

※3 ハラレ

ムビラの地、ジンバブエの首都

※4 チャミヌカ

ムビラを演奏するショナが信仰する最高位に位置する男性の精霊

※5 ネハンダ

ムビラを演奏するショナが信仰するチャミヌカの次に位置する女性の精霊

※6 カリガモンベ

ムビラの曲の名前、牛を倒す、という意味がある

※7 ドンキー・モンベー・ヴゥージィー

カリガモンベを演奏しながら歌う歌の歌詞

 

チャミヌカの話

その昔、
アフリカ南部・グレートジンバブエに人々が住んでいた頃、
大いなる精霊・チャミヌカがやってきた。
チャミヌカは声だけの存在であった。

チャミヌカは人々に調和と平和を教えるためにやってきた。
チャミヌカは人々に自然と共存する事を教えるためにやってきた。

それまで人々は、
狩りをして肉を得、
木から果物を取り、
池や川から魚をとる生活をしていた。

チャミヌカは、人々に、
どうやって野菜や穀物を育てるのかを教えた。

人々は、野菜や穀物を育て、
自然との共存をはじめた。

チャミヌカは、それぞれの民族の族長を指名し、
みんなが仲良く暮らせるように道を示そうとした。

しかし人々は、
チャミヌカの言葉を信用せず、
民族長が亡くなった後には、
後継者をめぐっての争いが起こった。

調和と平和を愛するチャミヌカは、
人々のもとから離れていった。

そして、グレートジンバブエは、
衰退し滅んだ。

それから100年後、
ある場所で、儀式が行われた。

儀式では、
聖なるお酒、セブンデイズが醸造された。

まるい土器の壺に入れられた聖なるお酒セブンデイズ、
それをすくうため、
儀式の主催者が、
ヒョウタンでできたひしゃくを土器の壺の中に入れると、
土器の壺の中には、液体の感触は無く、
ゴツッ、
という硬い石のような感触があるだけであった。

他の者が、
土器の壺の中にひしゃくを入れるも、
結果は同じであった。

その時、儀式の場に1人の男があらわれた、
その男の名前はパシパミレ。
ボロボロの衣服をまとった、
貧乏そうな、
普通の1人の男であった。

パシパミレが、
“私が、問題を解決しよう。”
と、言うと、
人々は、
“我々に出来ないのに、なぜ、お前にそんな事ができるのだ。”
と笑った。

パシパミレは、ひょうたんのひしゃくを手に持ち、
土器の壺の中にひしゃくを入れた。
そしてひしゃくで土器の壺の中の液体をかきまぜ、
そしてセブンデイズをすくいだした。

人々は、喝采した、
そして、
パシパミレに、精霊チャミヌカが宿っている事を認めた。

人々は、チャミヌカ(パシパミレ)のために神殿を建てた。
神殿のまわりには、ドゥンギザという木がたくさん植えられ、
人々は、その神殿をチトゥンギザと名付けた。

これが、
ジンバブエのチトゥンギザという都市の名のいわれである。

チャミヌカは、それぞれの民族の族長を指名し、
人々は平和に暮らした。

しばらくすると、南の方からンデベレ民族が侵攻してきて、
闘いが起こった。

それは大きな戦いであった。

しかし、ンデベレの者たちは、
チャミヌカの不思議な力により、
チャミヌカを攻撃する事はできなかった。

この様子を見た調和と平和を愛するチャミヌカは、
“お前たちが、このように戦いを続ければ、
この国は滅んでしまう。
私は、戦いを終わらせるために、白人を連れてこよう。”
そう言った。

しばらくして、
白人たちがやってきて、
ンデベレとの戦いは終わった。

しかし、白人たちは、
大地を占領して植民地化した。

1890年代、
この植民地化の様子を見た、
大いなる精霊、カグウィとネハンダは、
立ち上がり、人々に呼びかけ、
解放闘争を起こした。

しかし、
カグウィもネハンダも白人政府にとらえられ処刑された。

そして、1960年代頃から、
再度、解放闘争が起こり、
人々が結託し、
植民政府と戦い、
1980年に独立を果たした。

その解放闘争のさなか、
再度、チャミヌカが現れた。

それは、ムチャテラ・ムジュル、
という男に宿った。

ムチャテラ・ムジュルの元には、
黒人たちだけでなく、
白人たちも、
ムビラを習うためにやってきた。

ムチャテラ・ムジュルは、
黒人も白人も区別せずに、
ムビラを教えた。

その事に反感を持つ者も少なくなかった。
“なぜ、白人にムビラを教えるのだ、白人は敵だ。”
と。

ムチャテラ・ムジュルは、
人々に、こう答えた。
“彼らは、植民者の白人ではない、
ただ、ムビラを習いたい、そういう者たちだ。
彼らに罪は無い。”と。

しかし、1977年、
ムチャテラ・ムジュルの家に、
黒人兵士たちが押し入り、
ムチャテラ・ムジュルを銃殺した。

精霊、先祖の魂は調和と平和を愛する存在である。
しかし、勘違いしたり、間違った解釈をする者たちにより、
常に争いが起こり、そして、人々は血を流し戦ってきた。

2010年くらいから、
キリスト教が、
ジンバブエに急激に広まっていった。

キリスト教を信じる者たちは、
ジンバブエの土着信仰であるムビラ・先祖信仰を、
悪魔の宗教、と言って恐れだした。
そして、キリスト教だけを信じ、
もともと先祖から続いている土着信仰を捨てるようになった。

キリスト教の元である、
イエス・キリストは、もともとは、そういう存在ではなかった。
調和と平和を愛する者であった。
チャミヌカもそうである、
調和と平和と愛する者。
チャミヌカとキリストが言っている事は、
何ら変わりもなく、
同じ、創造主から遣わされた者である。

しかし、勘違いする者が現れる事により、
敵意、強欲、恐れ、
間違った事が起こっていった。

チャミヌカが、
はじめに現れた時、
人々に教えた、
自然と共存する術を。

次に現われた時、
人々に教えた、
後継者問題で争わない事を。

次に現れた時、
人々に教えた。
白人や他の民族と仲良くする事を。

ムチャテラ・ムジュル以来、
チャミヌカは、現れていない。

次に、チャミヌカがこの世に現われる時、
チャミヌカは、何を人々に教えるのだろうか。

※ムチャテラ・ムジュルに宿ったチャミヌカに関しては、
ショナ民族の間では、
チャミヌカであった、と認めている者と、
チャミヌカであった、と認めていない者がいます。
ただ、これだけは言います。
あの時に、ムチャテラを銃殺した者たちは、
大きな間違いを犯した、と。
誤解の無いよう、最後に書いておきます。

 

♪フラドレック・ムジュル氏の演奏♪

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